月光ワルツ・ファンタジア(Moonlight Waltz Fantasia)
- 2月11日
- 読了時間: 3分
舞踏会の夜は、いつも同じ匂いがする。甘い香水と磨かれた床、計算された笑顔。シエルにとってそれは、幼い頃から変わらない退屈の象徴だった。
王家主催の舞踏会。第二王子である彼には、視線と期待が否応なく集まる。婚約者探し——名目はそれだが、心が動いたことは一度もない。音楽が一区切りついた瞬間、シエルは静かに会場を抜け出した。
夜風に触れたくなっただけだ。そう自分に言い訳をして、中庭へ向かう。
月光に照らされた石畳の端で、ひとりの少女が座っていた。靴を手に、裸足のままうつむいている。ドレスは上質だが、どこか遠慮がちで、周囲から浮いているように見えた。
——ああ。
息をするより先に、記憶が蘇る。城内を駆け回っていた幼い日々。笑いながら差し出された小さな手。いつの間にか、城から姿を消した少女。
シエルは確信した。
「……君」
声をかけると、少女は驚いたように顔を上げた。薄茶色の髪に、緑の瞳。こちらを警戒するその目に、見覚えはない。
「大丈夫か?」
「え、あ……はい。ただ、少し、息抜きを……」
彼女は礼儀正しく答える。覚えていない。それでも構わなかった。シエルは名乗らないまま、そっと手を差し出す。
「一曲、付き合ってくれないか」
戸惑いのあと、少女——フルールは小さくうなずいた。
音楽は遠く、城の奥から流れてくる。だが、二人の間では、別の時間が始まった。
ステップを踏むたび、世界がゆるやかに回る。手袋越しに伝わる鼓動。フルールは最初こそ硬かったが、次第に肩の力を抜いていった。
「……不思議ですね」
「何が?」
「ここにいると、全部忘れられる気がして」
シエルは答えなかった。ただ、離さぬように手を取る。
王も、貴族も、嘲笑もいない。月と夜だけが、二人を見下ろしている。彼女の笑顔が、シャンデリアより眩しくて、胸の奥が熱を帯びた。
——やはり、君だ。
記憶の中の少女と、今目の前で踊る令嬢が、完全に重なる。
音楽が終わりに近づく。時間が、動き出そうとしている。
終わってほしくない。
そう願いながら、シエルは目を閉じた。最後の回転。夢の終わりと、始まりの境目。
静寂。
目を開けると、フルールはまだそこにいた。少し息を弾ませ、不安そうにこちらを見ている。
「……ありがとうございました。あの、あなたは……」
シエルは微笑み、何も答えない。
ただ一言、低く告げた。
「また、踊ろう。——今度は、逃げずに」
意味を測りかねたまま、彼女は瞬きをする。
シエルは背を向け、夜の中へ戻った。
その胸に、昔と変わらぬ名前を抱いたまま。
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企画・制作:恋するステラ
【楽曲】
月光ワルツ・ファンタジア
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