☆° 君に恋したサーカスクラウン(A Clown in Love)
- 4月10日
- 読了時間: 4分
王都の大劇場は、今夜も満席だった。
降り注ぐ光の中、ルカは舞台の中央で足を滑らせる。
派手に転び、そのまま転がるように起き上がると、歪んだ笑みを浮かべた仮面を客席に向けた。
白い仮面の片頬には小さなハート、もう片側には涙が一粒こぼれ落ちたような模様が描かれている。
笑っているのか、泣いているのか分からない、ちぐはぐな表情。
客席から笑いが起こり、拍手が広がる。
朝焼けをひとすくいしたような淡い金の髪が揺れ、仮面の奥からのぞく瞳は、薄く霞んだ菫のような紫をしている。
彼はルミナサーカスの中でも特に人気の高い存在で、クラウン――道化師という役でありながら、王都の大劇場に招かれるほどの名を持っていた。
主役級の演者が並ぶ中で、その位置に立つことは容易ではない。
転び、失敗し、それすら笑いに変える。
だがその芸を支えているのは、人の感情のわずかな揺らぎを読み取る力だった。
通路側、二列目。
いつも同じ席に座る少女。
夜をそのまま編み込んだような濃紺の髪は、胸元まで流れる長さを左右に結い上げたツインテールにまとめられ、毛先はくるくると柔らかく巻かれている。
瞳は、凍った水面のような淡い青。揺れることなく、まっすぐに舞台を見つめている。
彼女は、笑わない。
どれだけ観客が笑っても、ただ静かに座っている。
それでも何度も、この場所に現れる。
笑わせるのが仕事のルカにとって、笑わない彼女は意識せざるを得ない。
最初に彼女の存在に気づいたのは、過去のある公演だった。
ルカはそのときも舞台の上で転び、わざと間を外し、観客の笑いを誘っていた。
いつも通りの流れの中で、ふと目に入ったその少女は、やはり無表情のままだった。
だが――
ある瞬間、ほんのわずかに表情が揺れた。
笑ったわけではない。
それは見逃してもおかしくないほどの変化。
だが、人の表情を読み取ることに長けたルカには、その違いがはっきりと分かった。
その一瞬が、ルカの記憶に強く残った。
なぜ笑わないのか。
どんなときに、あの変化が生まれるのか。
そして――
この子を、笑わせたい。
舞台に立つ者としての衝動にも似たその感情が、胸の奥に静かに灯る。
それからの日々。
ある日は転び方を変え、
ある日は間の取り方を変え、
またある日は動きの強さや速さを微妙にずらす。
試すたびに、観客は笑う。
拍手も増えていく。
それでもルカの視線は、通路側二列目へ向かう。
彼女は笑うことはない。
ただ、ごくわずかに表情が揺れる瞬間がある。
その小さな変化を、確かめるように追い続けた。
――ドン、と太鼓の音が鳴る。
意識が、現実へと引き戻される。
フィナーレが近い。
光が強まり、色とりどりの紙吹雪が舞い上がる。
ルカは軽やかな足取りで舞台を駆け、
そのまま客席へと近づいていく。
胸の奥が、わずかに強く打つ。
周囲は歓声と拍手に満ちているはずなのに、音が遠のいていく。
まるで、この一瞬だけが切り取られたように、世界が静まり返る。
通路側二列目。
彼女の前へ。
何も持っていないはずの手を、軽く振る。
その瞬間、赤いバラがふっと空間から現れる。
黒い手袋に包まれた指先で、それを受け止める。
そのまま腕を伸ばす。
彼女は、ほんのわずかに困惑しているように見えた。
それは誰にも気づかれないほど微かな変化。
だが、ルカにだけは分かる。
淡い青の瞳が、仮面越しの彼を捉えている。
差し出されたバラを、彼女はそっと受け取る。
表情は変わらない。
笑いもしない。
ただ静かに、その赤を手の中に収める。
再び強く、拍手が鳴り響く。
紙吹雪が舞い、色とりどりの風船が天井へと放たれていく。
光と色の中で、ルカはその姿を見つめている。
少女は、仮面に隠された素顔も、名前も、何も知らない。
少女にとって彼は、ただの道化師の一人に過ぎない。
それでも――
――絶対に、君を笑わせる。
拍手の中で、ただ一人を探し続ける。
お互いの名前も、素性も、顔さえも知らないまま。
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企画・制作:恋するステラ
【楽曲】
君に恋したサーカスクラウン
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